的場裕子のインド留学記 その3

ヴィーナーの授業

タミルナード州立音楽大学への入学許可を得て、いよいよ待望の学校生活が始まった。小泉先生の時代にはカルナータカ中央音楽院という名称だったが、私が行った時にはセントラルの文字は消えていた。その後何度もチェンナイを訪れたが、通りすがりに看板を見る度に学校の名前が変わっていた。

名前が変わる事はあっても、大学の校舎は小泉先生の時代からずっとそのままの姿だった。チェンナイの南に流れるアダイヤール川の辺りに佇み、緑に囲まれた静かで落ち着いた場所にあった。敷地は広く看板のある校門から校舎まで100メートルくらいは歩いたと思う。

校舎は貴族の別荘のような優雅な白い二階建ての建物で、広々として天井も高かった。ヴィーナーの教室は2階にあり、バルコニーからの眺めも良く、建物の中で一番良い場所にあった。そのすぐ下の階は声楽の教室になっていた。当時はK.V. ナーラーヤナスワーミ先生が教えておられた。笛のクラルの教室は半地下。ムリダンガムとナーガスワラムのクラスはそれぞれ敷地内の別棟に教室があった。

声楽クラスの授業

私はヴィーナー専攻で、副科でムリダンガムを習うことになった。授業は60分で日曜日を除いて毎日行われた。床は大理石で赤と緑のストライプのマットが敷かれていたが、60分座り続けると最後の15分はお尻も足も痛くなって辛かった。石の上にも三年と言うけれど、本当に石の上に座って実践した。

ヴィーナーの授業は、ラージャラクシュミ ナーラーヤナン先生とカルパカム スワーミナータン先生のお二人が教えておられた。初級クラスと上級クラスがあり、私は初級クラスに入った。

学生は毎日同じ時間に教室に行くのだが、先生が交替で教えに来られた。

ラージャラクシュミ先生とクラスメートたち

私が入った初級クラスは私を入れて5人で、上級クラスより人数は少なかった。クラスメートの年齢は18歳くらいで、私より3〜4歳は若かった。

カルパカム先生の授業はカマラマノーハリというラーガ(音階)のヴァルナム(練習曲)で始まった。先生がまず短いフレーズを弾き、それに続いて学生達が真似をして弾く。次にまた短いフレーズという具合に8フレーズくらい続いた。それが4回ほど繰り返された。短いので、私も一緒に弾く事が出来た。

今私はインドに来てヴィーナーをインド人と一緒に習っているのだと感無量だった。だが、その幸せも長くは続かなかった。

短いフレーズが繰り返され、学生達がそれに慣れたと思われる頃、ちょっと休憩みたいな雰囲気になった。それからカルパカム先生は黙ったまま学生達を見渡して「それでは良いですね。」と言うような表情を見せた。それから突然全員が一斉にフレーズを繋げて演奏し始めた。私は一瞬何事が起きたのかと慌てふためいた。バラバラなフレーズがターラに乗っていきなり楽曲になった。びっくり仰天!何でそんなことが出来るの?何でいきなりターラが出て来るの?ターラとどうやって結び付けるの? 頭の中は混乱状態に陥った。

後から落ち着いて考えて分かったのは、インド人にとっては、最後に全部繋げて弾くのが暗黙の了解であったこと。学生たちは頭の中で、フレーズをターラにはめ込んで行く作業をしながら練習していたのだ。何も言わなくても、初級で習うヴァルナムと言えばアーディ・ターラに決まっている。何事にも前提というものはあるわけだが、それを知らないのは恐ろしい。

クラスメート達は演奏し終わって達成感に満ち、先生は優しく微笑んで教室内が和やかな雰囲気に包まれる中、私だけが顔を引き攣らせ青ざめていた。

上級クラスを教えるカルパカム先生

ある日教室に行くと隣の部屋から上級クラスの演奏が聞こえて来た。ティヤーガラージャ作曲の有名なパンチャラトナキールタナの5曲目シュリーラーガだった。何て素敵な曲なのだろう。聴いていると心が浄化されるようだった。私もいつかこの曲が弾けるようになれるだろうか。いや絶対弾けるようになりたいとその時強く思った。小泉先生もこの学校に留学された時、他の教室からラーガ・トーディが聞こえてきて、とても感動したと藝大の授業でお話しされていた。

グループレッスンでは、誰かが間違えても先生は一切注意しない。先生のやる事をよく見て、よく聞いて、同じ様にやりなさい、まねをしなさいと言う事らしい。先生が生徒に手取り足取り教えるのではなく、生徒が自ら掴み取らなければならない。先生は何度でも繰り返し演奏してくれる。主体的に取り組み、自分の間違いは自分で気が付かなければこの先見込みがないと言うことなのか。インド音楽は即興演奏もあり、習った音楽を蓄積してそれを応用する能力が求められる。音楽を習得するなら受け身ではなく、五感を働かせてしっかり自分の足で立たなければならない事を授業で学んだ。

 

的場裕子(ヴィーナー奏者)プロフィール

日本女子体育大学名誉教授

1949年秋田市に生まれる。

東京藝術大学楽理科卒、民族音楽学専攻、故小泉文夫教授に師事

1972年タミルナード州立音楽大学留学。ヴィーナーを故Rajalakshmi Narayanan氏、故Kalpakam Swaminathan氏および、故Nageswara Rao氏に師事。以後50年に渡り、研修を続ける。

2007年よりインドでも演奏活動を開始。チェンナイ、マイソール、カンヌールなど、南インド各地で演奏する。

研究論文

「南インド古典音楽で演奏されるラーガの現状について」 諸民族の音p.635—60 音楽之友社 1986

研究報告

「Musical Aspects of Baul Music」Musical Voices of Asia p.76—82 by Japan Foundation 1980.

「Flexibility in Karnatic Music」Senri Ethnological Studies 7 p.137—168 国立民族学博物館

執筆

岩波講座「日本の音楽・アジアの音楽」別巻Ⅱ≪インド古典音楽≫ p.155—166 岩波書店1989

民族音楽概論≪南アジア≫ p.149~166 東京書籍 1992

共翻訳

人間と音楽の歴史 第4巻 南アジア 音楽之友社 1985

更新日:2023.03.31